私達がシェアするものとは…

4月14日から群発する熊本地震。

今までに様々な情報がインターネット上で共有されてきた。

その情報共有について3.11東日本大震災のときから思うことがある。

それは、私達がこの10年で手に入れたツールで共有するのは情報だけじゃないということだ。


では、何を共有しているのか。

ずばり「感情」だと思う。

救援物資が避難所に届いてない!という悲痛なツイートを読んだとき、文面には書かれていないが、様々な感情がメタ情報として共有されている。

被災者の苦しみや悲しみ、傍観者が抱く被災者に対する同情、トロい行政への不満…

そういった感情が画面越しに共有されている。


インターネットが現代ほど手軽ではなかった時代、情報共有はマスメディアの仕事だった。

そして、それらの情報はある程度「編集」の名目で整理されていた。

また、そこで共有された感情を拡散する術を一般人は持っていなかった。

けれども、今の私達には情報を一瞬のうちに読み取り、共有する術をポケットに持ち歩いている。


誰でも体験したことを感じたままに伝えられるようになったIT社会、これからどこに向かうのだろうか?

個人が社会や国政に対する意見や不満を直接的に発信できるようになった。

戦争法案も原発反対も「日本死ね」も声高らかにネット上で叫ばれているが、本当に社会は変わったのだろうか?

何も変わらないのは為政者や権力者が押さえ込んでいるからだけだろうか?

ただ感情をシェアして私達は満足していないだろうか?

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