中途半端な発達障害のカミングアウトを憂う

発達障害の告白って難しいよね。

少し前の話になるけど、ある著名な書家が自身に発達障害の”疑い”があることをブログで告白して話題になった。

でも、これって当事者からすれば複雑な心境にさせられる芸能ニュースだったんだ。


はっきり言って、発達障害は誤解と偏見を受けやすい。

発達障害は、LGBTといったセクシュアルマイノリティーと同じように広範な症状(状態)を含む概念だから、情報が錯綜しやすいのだ。

そして、LGBTと違うのは「誰にでもあり得る」症状が多いということ。

例えば、発達障害の典型例の中に「こだわりが強い」というものがある。

自動車、電車、歴史、生物、、、そういった○○博士タイプになりやすいんだ!と具体例が挙げられているけど、誰にだって好きなものはある。

あとADHDの典型例だと「不注意」や「忘れ物が多い」といったものがあるね。

でも、誰にだって不注意はあるし、忘れ物だってする。

「対人スキルが低いんです」と説明したところで、口下手な人はゴマンといる。

そうなのだ、発達障害は「そんなの、僕にだってあるよ」の一言でサラッと一蹴される症状ばかりなんだ。


同じような扱いを受けた心の病を僕は知っている。

新型うつ病だ。

若者が職場では鬱々として、休日は嬉々と遊びに出かけることを揶揄した意味で使われていた。

けれども、ストレス環境下で暗い気分が続いて、ストレスから逃れた瞬間に弾けて活動的になるのは立派な躁うつ病である。

心を病んで辛い時期に「そんなの甘えだ」とか「最近の若者は弱い」と叱責されて追い詰められた人はどれだけいただろうか?

同じような扱いを発達障害が受けないかを僕は危惧している。

有名人が中途半端な認識で中途半端なカミングアウトを行う。

これが一番危険なことなんだ。

だって、中途半端な知識が蔓延するし、その中途半端な知識は誤解と偏見の温床だからだ。


「発達障害って言うけどさ、それは君の努力不足でしょ?」

こんな言葉を僕たち発達障害を持つ人間は幼少期から何度も浴びせられてきた。

必死に歯を食いしばって努力しても、血を滲ませるような工夫をしても「普通の人」に届くことさえ難しい。

世の中にはそんな人間が一定数いることを知ってもらいたいと思う。

究極的には、発達障害に限らず様々な障害や病気のカミングアウトが不要な社会が理想だと最近思うようになってきた。

誰もが違って当然なんだ。

自分が何も考えずに出来ても隣の人には難しいことは沢山ある。

そんな当たり前を当たり前に許容でき、お互いに支え合う社会になれたら、自分のディスアビリティーを告知する必要なんて無くなるんじゃないかな?

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